vol.14の3
人類[サル目(霊長類)ヒト科]というものは、、、 |
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3、続・何故、貧しいのか、、 ハリケーンのことから、次第に差別、貧困、怠けなど、話が次第に大きくなり、(ハリケーンは触りだけという始末。)また、きわめて複雑に、そして触れがたいため、私の手に負えるレベルはとうに超えた感がある。が、しかし、もうすこし考えてみたい。わずかでいい、何かをつかみたいと、つかむきっかけだけでもと、思うのである。 当初私は、確かにハリケーンによる災害に、あるいは、その被災者達に対し胸を痛めたのかもしれない。また、それを書き留めておきたかったのだろう。しかし、マイクとの話を重ねるにつれ、それは痛みではなく、つかえではなかったか、おもうようになった、疑問と呼んでもよいかもしれない。それが『人種』であり『差別』であったのかもしれないし、時にまた別のものであったかもしれない。 そして同時に私はこうも思う、今、この時が私にとっての何かを得なければならぬ、その時ではないのか?と。また、それをチャンスと呼ぶのは少々乱暴であろうか、、、 マイクとはそのような話をハリケーン発生以来、たびたびするようになっていた。そして毎回その後、考えるようになった.時にお互いが理解のし合えない、しようのない、こともあった。漠然すぎる疑問も起きた。まあ、いろいろとあったのである。あくまでも私の頭の中で、) 4、逃げられなかったのか?逃げなかったのか? かなり危険な疑問であり、考えである。あの時、その場にいた者が聞けば今の悲しみを忘れ、怒りを覚えることだろう。それでも何故だろう、私の得ることのできる情報は他人の手によるイメージ(3、の中でも述べた)であることは感じているし、実際に被害の何かを見た訳でもない。が、この考えは消えそうもない。やはりそれは今、感じたものではなく、常に感じていたものであるからではないのであろうか。 そう、彼等ははたして、少しでも脱出を試みたのだろうか?彼等がその場に残ったのは、残ってしまったのは貧しさだけが理由なのであろうか、、、 現在のアメリカの貧しい人々はおそらくどの国、どの時代よりも物質的な恵まれた生活をしているはずだ。アメリカの定めている貧困ライン(3人一家族、年間所得、約1万5670ドル以下)に位置している人々の内、40%(!)はマイホームを持ち、92%(!!)はカラーテレビを所有している。私がNYにきてゲットー地区に住み始めた頃、周りの人々を見て思ったのが、(みんな新しい服や、靴を身につけているじゃないか、それほど貧しくはないのかな?)ということだった。しかし今にして思えば、あれが彼等の財であり全てであった。埋まらない希望に変わり、物がこころの溝を埋めているように思えた。 それはハリケーンによりその崩壊が目の前に起きたニューオリンズでも同じではなかっただろうか、ある者はたつことをあきらめてしまったのではないか。それに彼等は常に言っていたではないか、”アメリカは貧乏人にはなにもしない。”と、、、彼等は知っていたはずではないのか、、、それでは何を待つというのか、、、私が言っていることは”こころ”のことなのだ。体や行動のことではない。そう、少しでも”脱出をこ試みようと、”思ったのであろうか?自らの力で生きようと、わずかでも、、、思うだけでも、、、 やはり私が感じていたものは、“こころ”の貧しさだったのだろう、私はきっと貧困というものの線を”こころ”、怠けと、懸命さとの間に引いていたのかもしれない。しかし、マイクの言葉を思い出すならば、私の引いた線は人としての価値をそこに認めることはできても、光と影に分けることはできないようだ、、、 5、彼等は国に、何かに頼りすぎてはいやしないか? これもその後知ったことだが、アメリカは国民医療保険制度が確立されていない唯一の先進国だと言う。(こちらでは雇用者が健康保険料を支出している。) その代わりとなる公的保険というものがある。老人に対しメディケアを連邦政府が支出し、低所得者に対しメディケイドを州政府が支出している。 当初、この制度は多くの者に迎えられた。しかしその後、多くの問題も迎え入れてしまうこととなる。メディケイドの面で州が破綻寸前のところがでてきた。つまり州により格差があるのだ。そしてより状況を深刻化したのは、メディケイドと住宅補助金を含む、福祉の受給金は、50州全ての最低賃金よりも高額であるということだ。また驚くことに、29州では、秘書の初任給よりも福祉の受給金の方が高い。つまり働かなくとも働く者と同じよう、生活していけるのだ.信じられないがそうなのだ。 私はそれを知ったとき、正直、愕然とした。(問題は何より、この制度にあるのではないか?これを援助と、助けと呼べるのか?彼等の声が本物ならば、彼等は生活以上に、光を、希望を、生きていくことを望んでいたのではなかったのか。人として、そして黒人として、、、) 私はその地区に住んでいた頃、ずっと不思議に思っていたことがまだある。(何故、貧しいながらも彼等は子供があんなにいるのであろう?)と。本当にどこにでも赤ん坊や、子供がいた.当然母親達も一緒だった。ひと独りが育つには多大な養育費が必要である。日本では貧しいならば子をどこかに預け両親が働いている姿を、常に見てきた。 だがここは日本ではなく、また働く母の姿もなかった。そして彼女達の子の多くは父という存在さえもまたないのであった。 アメリカの未婚者、特に若者の出産率は年々上昇し、白人25%、スパニッシュ35%、黒人に至っては65%にまでのぼる。彼女達の多くは、妊娠中、出産後、働くことができないため、国からの援助に頼っている。そして貧困層に属する者の数は80%を超える。そう、養育費という面で言えば彼等の父は国であり、援助の一端を税で補っている国民でもあるのだ(そして、その税を払う国民の多くは、、、)。 しかし実際、彼等の全てに父がいないかというと、そうではない、いるのである。そこには家族が存在するのだ。ただ、国の基準として彼等は家族ではないだけである。ある者達は互いをパートナーと呼ぶ。婚姻届を提出しないのである。 これにはいくつかのの理由があると思える。それは、結婚というものを単に過去の制度であるという見方、個人をより尊重する考え、または一生に一度のものとは思っていないこと、等々、、、しかし一番の理由はやはり、国からの援助に依存しているのである。(これは貧困層同様、若者の抱える問題と考えてもよいかもしれない。) それを彼等はどのように思っているのだろうか?私には矛盾というものを感じずにはいられない。(また、自分にも然り、、、)国は”なにか”はしているのである。ただ彼等にはそれが”なにか”は、わかっていないのではないのであろうか、、、しかし、私も彼等も分かっているのは、その”なにか”だけでは十分ではないということだけであるのかもしれない。 今回、私はあの災害から自分の中にあったこの国の疑問に初めて気づいたのかもしれない。そして分かったのは、私には”私の答えを持っていなかった。”と、いうことだ。いくつか、現時点での答えにはたどり着いたかもしれない。しかし、それは私のものであるより以前、”私達”のものであった。私には彼等が立っている、立たされている、舞台にさえ上ってはいなかった。 それではもし、私が自分の答えを持ち得たなら、私はその舞台へ立つことができるのであろうか?アメリカ人ではない私がこれらの問題に触れるべきではないのか?私はミスキャストなのだろうか、、、 5、彼等は国に、何かに頼りすぎてはいやしないか? もう少し、、つづく―――
(文と写真:中屋 一生)
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