vol.14の4
人類[サル目(霊長類)ヒト科]というものは、、、 |
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5、続・彼等は国に、何かに頼りすぎてはいやしないか? 前回、私は少々、一つの(あるいは日本人としての、)角度から、モノを語りすぎていたようだ。私の考えには、私の真実はあっても、この世界、この国の真実には欠けていたのかもしれない。 ある日、私は友人と物事の考え方などを話していた時、私には圧倒的に現実、未来の捉え方が不足しているのを痛感した。そのとき私は、(まるで私の考えは絵本のようだな、) と、苦笑いをするばかりだった。言っている事は極端だが、正しさはある、言いたい事も分かる、が、それができないから問題なのだ。さあ、そこでどうする?と、言う訳である. 現実と私の理想、考えを照らし合わせると、確実に歪みが生じる。それを”人間の性”とでも言おうか、理屈は分かる、それでも人は理想通りには生きられないのである、ということが私の考えには十分でないようだ。 どうやら私は未だ、答えを探し続けている必要がようだ。また,私も彼等同様、それを”誰か”に依存しているのではないか、、そう誰かに、、、
6、私の依存
人種間の問題を話す中で、ほぼ行き着くところは、結局はその人種にしか理解はできない。と、いう最初の一行に帰す。それがトランプであるなら、クローバーはスペードにはなり得ないし、ハートはダイヤには変われない(あるいは人なら変わるのか、、)。互いの願いは伝わらぬのだろうか、、、 私は常にこの話が続くのなら、決まってジョーカーのカードを切った。それは私は”ハーフまたはクォーター(米国ではミックスという)”にこの問題を変えうる可能性を感じていた、依存をしていたということだ。 私の仕事のボスは、日本人とロシア人のハーフの女性である。やはり外見も日本人である前に、ハーフであり外国人である。そして日本では、ハーフであるという事は、日本人ではないという事だ。少なくとも子供ならそう捉えるだろう。 「うん、いろいろあった、、、」 特に、落ち込む訳でもなく言いはしたが、彼女はその“いろいろ”については話さなかった。私も聞く気はなかった。聞く必要もなかったのだろう、彼女の言葉は”経験”であるという事が伝わってくるからだ。けして彼女の日本語は大人びてはいない。(彼女は少女から女性になるその途中、生活の場をアメリカに移している。)それでも何故だろう、その経験が伝わってくるのだ。(言葉の使い方、考え方ではないのだな。) このような表現も存在するのだな、と思った。そして彼女はそこで、何かを学んだようだ。 「でも、自分の事(立場も?)そう、それがよく分かったし、そうゆう風に見る人はそうゆう人なんだって、思えるようになった。自分の中で気にしなければ平気なんだって思えるようになったかな。」 彼女は幼い時、すでに自分が何者であるのかを、彼女自身で探さなければいけなかった。そして彼女はそれをそのとき手にしたのかもしれない。それは後に、彼女の宝の鍵となり、私にはそれこそが人種間の扉を開く鍵であると感じたのだろう。 彼女の、彼女達の“経験”というものに私は未来を見ていた。しかし、どうやらそれは依存というものでもあったようだ。彼女達の中では人種というものが問題であったのではなく、自分とは何かという事が問題だったのだ。きっと私は常に自分には無理なのだと感じたとき、他の何かに可能性を見いだしていたのだ。それがいつの間にやら、現実的でない理想論へとなっていたのかもしれない。
7、私にとっての”経験”
ここで経験というものが私を考えさせる。私には、「何事も経験」という考え方ができないのだ。経験をするための経験ができないのである。どうしてもそれは意味のあるものとは思えないのだ。しかしそのように考えておきながら、一方では、他人の経験から自分にとっての何かを求めようとしていたのだ。矛盾を感じずにはいられない。ひょっとしたら私はその事に気づかないまでも、感じていたのやもしれない。そしてむしろ、その事に苦しんでいたのではないだろうか、、、 自らの言葉に軽さを感じる。経験から得た言葉ではない、という事が私を虚しくさせるのだ。”他人の経験の中に自分の答はない、”という言葉が浮かんだとき、(ああ,、あの言葉とおなじではないか)と、思わずハッとさせられた。 沢木光太郎のエッセイの中で『大人になるということ』というエッセイがある。彼が大学の卒業論文に、アルベール.カミュの評伝を書いた時の話だ。彼はカミュの一生を追い、書き続けていたが、カミュが22歳となったところで、彼はこの論文を締めくくる事にした。また、当時彼も22歳であった。その理由とも言えるものを、この論文の最後の一行に記した。 これから先は、とにかく自分が生きてみる事だ。 彼はその理由をこう書いている。 何故このような唐突な一行で書くのをやめようとしたのか。それは私がカミュの評伝を書きながら、どこかで自分の生き方を探し求めていたからだと思う。無意識のうちに、彼の人生と自分の人生を突き合わせ、、生き方の答を探そうとしていた。しかし書いているうちに、彼の人生の中に答などあるはずがない、というごく単純な真理が見えてきたのだ。 この文を読んだ時、私はそうなのかもしれないな、と思うに留まった。むしろまだ分からないな、という気持ちがあったのだろう。それは依然、私が本への依存が強い事が分かっているからでもあった。そして彼はその時、自分の変化に気づく、、、 もし私に、青春期の成長の過程で、ひとつの時代からもうひとつの時代に踏み込んだかもしれない、つまり「大人」になったかもしれないと思えるような画期があったとすれば、それはたぶん卒論の最後の一行を書き終えた瞬間だったにちがいない。私が書物に過剰なものを求めなくなったのは、それ以来のことであるような気がするからだ。 彼は「大人」になる過程を確実に自覚していた。私はどうだろう、、(未だそれは来ていないな、、)と思えるのが精一杯であった。過ぎたとは思えない、まさか来ないとは考えたくもない。そう、いつか、、いつか、、そう思うばかりであった。そして彼はこのエッセーの最後に私に残る言葉を残した。 書物の中に答はない。 なんと鮮やかな言葉であろう。この言葉がこの文の全てを語っている。そうなのだろう、しかし私はそれでも本への依存は変わることはなく、またこの言葉も私の中で残り続けたのだろう。そして今、その言葉は別の形で私の中に現れたのであった。 この文を読んだ時、どうしても分からなかった訳は、きっと、私は書物にきっかけは求めていても、自然と答は求めてはいなかったからであろう。私は答を探すため、書物に依存していた訳ではないようだ。そう、私が気づいたことは、彼にとってそれが書物であったよう、私にとっては、他人の経験の中に私の答がある訳がない、ということだった。 私は今回、長い間、残してきたものが、なんであったを知ったため、完璧に本文から外れた話を書いた。このようにするつもりはなかったが、書かずにはいられなく、承知の上で書き進めた。私にはそうする必要があったのだ。私はこの”経験”でひとつの答を持った。それは、 ”今を、人を観よ。全てはそれからである。” ということだ。前者には未だ自信はないが、後者なら今を持ってして、観ることができるのではないか、と思っている。私には誰かから得ようとするのではなく、観ようとすることが、あるいはそれを”経験’と呼べるのかもしれない。 次回、この文、最終回ーーーー
(文と写真:中屋 一生)
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