vol.21
to next age 〜スポーツライター 杉浦大介〜

 杉浦は横浜で生まれ、その後、東京、田無で育つ。小学生の頃、彼は少年野球でチームのエースピッチャーだった。勉強の成績も良い方で、いわゆる“できる”子供だった。しかし目立つことを嫌い、周りの空気を読むようなところがあった。

 小さな頃の自分の印象を彼は、「あまり自信のない子供だった。」と語る。
「野球で選抜とかあるでしょ、あれに一人だけ選ばれたんだけど、それが嫌で,嫌で仕方がなかった。(普通喜ぶのでは?)そうだよね。でもなんでかなぁ、恥ずかしいというか、とにかく嫌だったんだよね。」
 この頃の彼の(自分を抑えるような)性格はどこかで自分に対して諦めというものを感じていたからではなかったか。自分を見つめる目が周りを見つめる以上に冷静で、時にそれは残酷なようにも思えた。

 小学校の卒業文集の作文の中、彼は自分の将来の夢として、「野球に関連する仕事に就きたい。」と書いた。選手ではなく、関連する仕事と、、、。
 「まぁ、おれはダメなんだと思ったね。エースで投げてたけど、そこまで(プロ)の器じゃない。その頃本当に自信のないガキだったから、、、でも、考えてみれば今、夢叶ってるね。」
 この見切り、早熟と言ってもよいかもしれないこの性格、冷静な目は、後に書き手としての彼を形成してゆくのだが、このときはまだ少し早すぎたようだ。その原因の一つに書物というものの影響が大きかったのかもしれない。

 幼少の頃、彼は好んでよく本を読んだ。自分の家にある棚の本を繰り返し読んでは、考えた。この考えるという行為が彼の中に自分を、何かを常に測ってしまうような、あるいは比べるような判断の意志的動作に繋がっていたともかぎらない。
 子供の頃は自分というものについてそれほど考えはしない、故に自由であり、可能性があるのだ。彼は自身が持つ可能性をある部分、狭めてしまったのかもしれない。
 しかしそれはまた彼に違った可能性を生む力を与えた、それは現実的な目標と、それに達成するまでの努力という生き方だった。
 その時、その場所で、ただ懸命に、そのことにおいて、彼は年齢を重ねるごとにより純粋になっていった。

 杉浦にとって本を読むということは自発的なことだった。そんな彼を両親も分かっていた。
 「両親が選んで本を棚においていた部分は確かにあったと思うよ。」
 家族のことを杉浦は振り返る。
 「父は車雑誌の編集長だったね。その父や姉とは昔あまり腹を割って深く話し合ったことはなかったかもしれないなぁ。でも母とはずっと仲は良かったね。俺が大学に入ったら、親の役目は終わったとばかりに、物件探してギャラリーやったり、友人の選挙を手伝ったり、まぁ、アクティブだったね。その部分は自分は似たんだと思うよ。まぁ、普通の家庭だったなぁ。」

 杉浦が大学を卒業し、いよいよNYに旅立つことになったとき、父は彼に自分のことを語った、またそれは彼等にとって初めてのことだった。彼の父も大学卒業後、同じようにドイツへ留学していたのだ。彼はその話を聞いて、「血は争えないな。」という思いを感じた。そして父は最後、彼に言う。
 「自分は留学中、いろいろと大変な目にあった。もし、おまえにそんなことがあったなら、いつでも言ってこい。」と。
 「あれはうれしかったね、少し父親のことが分かった気がしたし。それに今は尊敬してるよ、父のこと。」  自分の道を歩む中で、父をそこに感じる。今の彼の姿、それは必然であったのかもしれない。



 杉浦の少年期、小、中、高の学校生活は野球が全てといってもよかった。彼は野球に生かされていた。多くの少年がそうであるように、彼もまたその一人であった。
 中学に進むと、ポシションはセカンドへと変わった。体がそれほど大きくならなかった、と彼は言う。その頃の自分は本当に普通だった、と語る。その言葉にはようやく自分の本来のポジション(周りに対しての)を得た、というような安堵感が見えなくもなかった。

 その後、杉浦は小平高校へ進む。高校時代、彼の代のチームは例年よりも強く、また目指していたものもそれなりに高かった。そして高校野球集大成とも呼べる高三の夏、彼自身にも懸けるものがあった。 「そう、あれは小二からだから約12年くらいだね。今まで野球を続けてきてこの大会で最後にしようと思ったんだよね。きつい練習もしてきたし、だから最後、絶対、結果を出そうと、全てを出そうと、そう思ったんだ。」

 夏の高校野球、そこには情熱と刹那的な輝きがある。それは決して暑く眩しい夏の日差しのせいではないはずだ。球場はいつだって彼のような球児達がいたからこそ輝きに満ちた。その意味ではこの時、ライター達のペンは力を持たないのかもしれない。
 とにかく杉浦は自ら言うよう全て懸けて最後の野球、夏の大会に向かったのだ。

 「その最後の大会、最初の試合で全く打てなかったんだ。この大会前、毎試合、必ずヒットは打っていたし、それなりにチームに貢献はしてきたつもりだけど、チャンスに打てなくて、、、まったく、、一本も、、そして負けて、、、、。」

 全てを懸けただけの代償がそこにはあった、彼はそれが自分の力だと思ってしまった。この日、彼は人生で初めての大きな挫折を感じる。そしてそれが彼に大きなコンプレックスとなって刻まれることになった。

 それが杉浦の高三の夏だった、、、。

               (文と写真:中屋 一生)

■ NY在住スポーツライター、杉浦大介氏のブログ Nowhere, now here.
■ 杉浦大介氏が「NY、勝手に殴れ!」を連載中 Talk is Cheap




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