vol.22
to next age 〜スポーツライター 杉浦大介〜

 高校を卒業した杉浦は日大、経済学部へ入学する。大学に進んだ理由はただ「時間が欲しかった」のだという。そして彼はその時間の中で次第に強く思うようになる。

 ”何か、自分というものができることをやりたい、何者かに。”と。

 何かをただ一生懸命やりたい、それだけの理由だった。杉浦は大学でサッカーを始めた。しかしそれは二ヶ月とは続かなかった。自分には合わなかった、のだと言う。しかしそれは本当の理由、という訳ではなかった。
「この時に、ボクシングを始めたんだよね。」

 杉浦がまだ中三だった秋のこと、偶然観たTV、そのモニターに映されたボクシングの日本タイトルマッチの中、辰吉丈一郎がデビューから僅か4戦で日本タイトルを獲得した。
 辰吉はその溢れるほどの才能と、競技を超えたカリスマ性で杉浦に衝撃を与えた。杉浦は辰吉に、そして彼が体現するボクシングに心を奪われた。しかしその一方でその衝撃に比例するかのごとく、辰吉の生き方が杉浦をボクシングから遠ざけた。

 「最初、ボクシングはやれるものではないと思ってた。そう、辰吉の試合を観て、ただただ人間的なパワーの凄さを知ってしまったから、自分がやろうとは思ってもみなかったんだよね。でも実際にジムに通い始めたら選手はみんな優しいし、普通の人だったけどね。それでも始めは試合をしようなんて考えもしなかった。」

 ある日、私達が飲みにいった時、彼は少し熱っぽくそして切なそうに語った。
「彼っていうのは俺の無邪気な頃の象徴だったんだよね。辰吉をみてね思い出すのは自分のことばかり、昔のね、、、要は、だから、青春時代の象徴、だから、青春そのものなわけよ、クサい言葉でいうと、、、、。」
 酔いは少なからず回っていた。しかしそれは酒だけのせいだったろうか、、、。
 私がふと、奇跡を感じたシーンはあるかと、聞いた時、杉浦は懐かしむように語りだした、、、。

 「まぁ、辰吉が王者に返り咲いたとき、あのシリモンコン戦のとき、あれは奇跡だと思ったね。彼の力が奇跡を起こした訳ではないのだけれども、偶然が重なり合った奇跡だよね。ただ、彼が本当にすごいから奇跡を起こしたのではないと、あれに関してはね。運が、平たく言えば運が良かった。だからあの運のよさっていうのは本当奇跡だと思うから、相手が若かったこともあるし、減量が苦しかったのもあるけど、様々な偶然が重なり合ったことが奇跡であるし、まぁ忘れられないシーンという訳ではないけれど、、自分が我を忘れて興奮したっていうのは、あれが、、それが最後だよね。まぁ、彼がいなかったら俺がアメリカに来ることもなかったと思うしね、、、。」

「まだ辰吉の背中を追っているということは?」
「ないね、もうない、その段階はもう終わった。今は彼が示してくれた世界に対し答を出していく時なのだと思う。」

――― アメリカに渡って以来、僕は強いボクサーを飽きるほど見てきた。だけど、いつかの辰吉のように背中に羽根の生えたボクサーには、あれから1度も逢っていない。2度と出逢うことはないと思う。      
NY、勝手に殴れ『辰吉丈一郎の時代』

 ビールを飲み干し、杉浦はTVの画面を見ていた。そこではメジャーリーグのプレーオフが行われていた。彼は観るともなく眺めていた、、、そして呟いた、、、。

「奇跡だと感じたのは、、、あれが最後だなぁ」
 彼の瞳には何も映っていなかった。



 ボクシング、その魅力の深さに杉浦は何のためらいもなく飛び込んだ。朝走り、サンドバッグにパンチを打ち込み、スパーをすることで少しでもボクサーに近づきたいと、そう思うようになった。
 触れてみたかった、そうも言っていた杉浦の指は、手は、二つの拳としてその空間に存在していた。しかし、杉浦はリングに立つことを許されなかった。

 ジムに通い始めて一年が経つ頃、杉浦は目の異常に気付き、恐れながら病院へと行く。診断の結果は重度の飛蚊症(黒い点、虫のようなもの、または薄い雲のようなも のが 視野の中に見える症状を飛蚊症と呼び、ときに網膜剥離か網膜裂抗に進行する可能性 が高くある。)という、それはボクサーにとってあまりにも危険な病気だった。杉浦はボクサーとしての未来を諦めねばならなかった。
 ジムに行けば「スパーはやらせないぞ。」と、煙たがられ、母親も彼を心配した。
誰も望みはしなかった、、、、ただ、杉浦を除いて、、、。

「凄い喪失感があったよね。高校の時に加算された感じだった。なんであんなに練習して、走ったんだろうって、、、、それでなんかムダにしたくなくって、マラソンに出たんだよね。その後、NYでもマラソンは走ったけど、あの時は苦しいだけだったね。風景がどこも一緒で、ただ疲れただけだった。」
 その苦しさは風景だけがそうさせたのだろうか、、。

 ボクサーにはなれない、その事実が突き動かすように、杉浦は様々なことをやり始める。NYに旅行をしたのもこの頃だった。
 「自分の中で自由だというイメージがあった。まぁ、自由ということに憧れてたんだね。地方の人が東京に憧れるようにね、俺は東京で育って東京しか知らなくって、それで大きいモノをたいと思って、、それがNYだったんだよね。」
 そして彼はここに戻ってくるのだと、この時、心に決めた。

 大学入学当時から始めていた居酒屋のバイト仲間に映画監督を目指しているものがいた。映画出演を一度、誘われたことがあったがその時は断った。杉浦にはボクシングがあったのだ。しかし今回は断るその理由はなかった、、、。
 母の知人が選挙に出馬した際、彼はその選挙事務所長になった。その三ヶ月は本当に楽しかったと語る。
 「選挙は負けたんだけどね、”20歳の選挙事務所長”なんてマスコミにも少し出たり、演説のときなんかでも友達がいきなり演奏始めたり歌ったり、まぁ、好き勝手やってたよね。差し入れにきてくれるおばちゃん達も皆すごくいい人で、楽しかったなぁ、仕事であんなに楽しかったことはないね。」
 選挙事務所のバイト後、夜にバーテンのバイトをはじめた、そしてこの頃、杉浦は文を書き始めた。 「最初、野球の最後の挫折のことについて書いたんだ。どんな題だったかなぁ、、、」
 バーの同僚の中に小説家志望の人と出会った。彼に自分の書いた物を見せることで書く楽しみを知った。そしてぼんやりと、”書く”ということを考え始めてもいた。

 「一通り好きなことをやって楽しかったけど、やっぱり戻ってきちゃったんだよね、、、ボクシング、、。」
 誰も望みはしないリングの上に杉浦は何を求めただろう、、、。

 「アマでいいから、、。」
 親にも一試合だけとの約束をし、ジムにも練習を見せ続けることで訴えた。ようやく皆に認められ、アマの試合に出ることが決まった時、すでに半年が経っていた。その間、頭をかすめていたのは高三の夏のことだった、、、あの日から止まった時間を取り戻し、覆い隠していたものを取払い、そして何よりもう一度自分を信じなければならなかった。
 「落とし前だった。高校時代から続いている、まぁ、なんて言うか、ある意味弱い自分に対する落とし前だったんだ。」

 この瞬間、杉浦は過去以上に今を信じられたのだろうか、、、あの日の全てを超えた全てが今にあるだろうか、、、答はリングにあっただろうか、、、。

 「その試合、緊張するどころか、自分でもびっくりするくらいパンチが伸びてね、、、、今でも忘れないけどね、練習でもでないくらいパンチがスラーっと伸びて、全部当たってね、吸い込まれるかのように当たって。それでアマの試合だったけど、相手が効いてるのが分かったんだよね。それでもバラけちゃったと思うけど。
 『これなら大丈夫だ、大丈夫だ』って、頭の中でずぅっと『大丈夫だ』って、繰り返しながら、ずぅっとそのことばかり思ってた。定かじゃないけど、大丈夫だって思た時がコンプレックスから解放された瞬間だったのかなぁ、、、それとも倒れる前かな、相手が、いや、当たるっていうかパンチが伸びた瞬間かな。」

 それはつまり求める答がそこに在ったと言うことなのか、、、。
「結局だから、コンプレックスの正体っていうのは、どんだけ練習しても、練習試合に結果を出しても、本物の試合ではダメなんじゃないかって思ってたことだったんだよね。でも試合に勝つってことなんかよりも、練習以上にパンチが伸びたんだよね。結局その瞬間が、解放されたってことだったんだよね。」

 試合後、爆発的な喜びはなかった。この試合でいつでも辞められると思った、自分の中でケリは着いた。その後、杉浦は数試合アマで続けて戦ったが、もはやその試合に意味はそれほど無かった、、、、。

 コンプレックスを超えた時、そこに何が見えただろう。あるいはこの時、杉浦が触れたのは”自分の世界”だったのかもしれない。
 辰吉にはなれなかった、彼のようにパンチを繰り出すことも、自由にリングを躍動することも、誰かを魅了することも、、、、彼のようには生きられなかった。杉浦には杉浦の生き方しかできなかったのだ。しかしそれは辰吉にもいえることではなかったか。
 辰吉は今も自分を信じてリングに世界のリングに上がろうとしている。杉浦も同様に己を信じ、大きな目標のその途上にいる。

 どこまで、いったいどこまで人は自分を信じきれるのだろう、、、。
 歩んだ道は違う、しかしその道に触れた瞬間は確かにあった。その道の先には自らの道が存在し、どこまでも、どこまでも伸びていた。

 杉浦が触れた辰吉丈一郎、あるいはそれは彼が見せた、信じがたい奇跡と、絶望的に存在する現実の中でできた、僅かな夢であったのかもしれない、、、、。

               (文と写真:中屋 一生)

■ NY在住スポーツライター、杉浦大介氏のブログ Nowhere, now here.
■ 杉浦大介氏が「NY、勝手に殴れ!」を連載中 Talk is Cheap




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