vol.23
to next age 〜スポーツライター 杉浦大介〜
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コンプレックスの克服と共にに開けた自分の世界、、触れたその指は、NYで掴むことができるのだろうか、、、。 大学卒業後、杉浦はすぐにNYへと旅立った。留学当初はブロンクスのジャマイカ人の家にホームステイをしていた。ステイ先の家から離れたところにあった彼の離れ部屋にはインターネットや電話などの外との連絡手段がなかった。 ”漠然として、寂しかった” 当時、ライターとなるため、その思いに偽りはなかったが、また断固とした決意がある訳でもなかった。彼には自分を支えるモノがまだ何もなかった。そして、この街にきた者なら誰もが感じることがあるだろう、孤独感を彼もまた感じていた。彼は思った。 「なにか自分にできることをまずやろう。」と。 杉浦はNYでもボクシングを始めた。プロになるためということではない、それがその時の彼にできることだったのだ。当時、書く、ということよりもボクシングというものの方がより彼の傍らに在ったのだ。 ――― 僕はボクシングを通じて、世界を知った。どんな作家もアーティストも政治家も、どのガールフレンドでさえもできなかったことを、ボクシングは軽々とやってのけた。もしボクシングが無かったら、僕がアメリカに渡ることも、今これを読んでいる貴方と僕との幸せな出逢いも、絶対に訪れることは無かったと断言できる。 NY、勝手に殴れ『キングスウェイ・ジムの風景 〜NYジムめぐり』
学校、ボクシング、バイトそして執筆と、そのサイクルが彼の中で一年近く続く、どれもが楽しく、懸命になれ、心地よかった。しかし、はたしてそれがライターとして、前に進んでいたかというと、そうとも言えなかった。杉浦はライターとしての基礎、コネを作るため、日本への一時帰国を決めた。前に、ライターとして前に進むため、、、、。 帰国の具体的な目的とはまず、永谷修のライター講座を受講することだった。技術的なものを身につけること以前、コネクションというものを築きたい、と考えていた。 「授業自体にそれほど特別なことはなかった。何かを観てそれについて話し合ったり、書いたり、特に何か技術的に教わるいうことはなかったなぁ、彼が教えてくれたのは基本的に礼儀作法だったね。」 「よく授業が終わった後、皆で飲みに行ったりしたんだけど、永谷先生が常に言っていたことは,良い文章を書きたかったら魅力的な人間になれ、ということだったね。」 永谷も杉浦に対しそれなりの評価をしていた。クラスのまとめ役に指名したり、彼の行動力に一目置いた。そして講座修了の日、永谷は杉浦に言った。 「最後、先生が俺に言ってくれたんだよね一言、「本物になれ。」と。どうゆう意味なのか、、今でもたまに思うけど、あれは忘れられない言葉だね。」 (本物に、、、か、) その言葉は私にある一つの杉浦の文を思い出させた、、、。2005年、イチローがメジャー1000本安打を達成したとき、記録達成前のイチローの不調に対し、その裏に何かを感じた杉浦はコラムを綴る。 ―――実際に、大記録を前にして、ここ数試合のイチローの打席は内容の悪さが目立った。(中略)そして記録達成時には、スコアボードの打率の欄には、イチローとしては何とも信じ難い打率「295」という数字が浮かび上がっていたのである。 これはまさに絶不調なのか、それとも天才にまた何か秘めた考えがあるのか。今の彼の身に、いったい何が起こっているのだろうか……。 ―――「わざと詰まらせてヒットにする事もある」と語っていたイチローにとって、その打席などは、安易なヒットで終わらせる事も出来たのかもしれない。だが、より上の段階に進むために、何らかのステップを踏んでいた可能性もあるのではないか。 彼の凡打の背景には意図がある。不振の影には意味がある。 NY摩天楼通信『イチローの謎』
イチローの不振の影、そこに私は”芸術は爆発だ”という芸術家、岡本太郎の言葉を感じていた。彼もまた何かを新たに生み出そうとしている、記録じゃない、彼だけの何かを、イチローは間違いなく芸術家だった。杉浦はどのように感じていただろうか、、、最後、このコラムはこのように締められた。 ーーー彼の存在と才能は、安易な納得を許さない。人々に何かを考えさせ、困惑させる。そして、そんな周囲を尻目に、イチローはまっすぐと前に進んで行く。僕たちがようやく答えらしきものに辿りついたその時には、彼はもう同じ場所にはいやしないのだ。 魔法の杖のようにバットを振りヒットを量産して来た男は、目に見える分かり易い記録を数々残して来たが、一方で常識では理解不能な謎の男でもある。 そして、そんな天才に対し、僕たち凡人に出来る事は、ただ想像をはり廻らせる事だけなのだ。 NY摩天楼通信『イチローの謎』 読後、私が感じたことは、確かにそうなのだろうな、と思えたことだ。しかし、否、とも思えてしまったのだ。彼が書くよう、それは私、または一般の者達までの想像の世界なのではないか。私達でもそこまでなら想像できるのだ。そしてその先を知ろうと思うから、ライター達の文を読むのだ。 ここには杉浦の答は記されてはいなかった、、、、。それとも”これが”杉浦の答だったのか、、、これが、、、。 しかし、と、またも思う。 (あるいは彼は書けないのではないか、まだ真の自分の答を、、、) そうも感じたのは、私はそこにプロの制約をみたからだ。多くのライターがそうであるよう、彼もまたプロであるが故に書けなかったのではないか。自分の答を示せるのは限られた人間だけなのだ。制約の先にみえる特権、それを得られる者は、、、少なく、、、やはり何者かであり、プロでなければ書けないのだ、真実というものは、、、。 「本物になれ。」 杉浦にも永谷の伝えたかった真の意味は未だ定かではなかった。それでも彼に出来る事は、ただ想像をはり廻らせる事だけ、では決してないはずだ。 彼は本物のプロに少しでも、近づけただろうか、、、。 |
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講座は週一回の授業だったため空いた日に中国、韓国へと杉浦は足を運んだ。そして授業修了後、二週間をフィリピンのボクシングジムで過ごした。 フィリピンで杉浦がみたものは狂おしいほどの腐敗した町並みと、かつて出会ったことの無い人間の生きる姿だった。 二日目以降、杉浦はジムにある合宿所で泊まり、取材を兼ねてトレーニングも共にするすることとなった。会長兼ジムのマネージャーだった日本人の村山幸親が彼を受け入れたのだ。 マニラにあるこのジムは凄かった、日本人である彼にとっては酷かったと言った方がよいかもしれない。練習がではない、ジムの設備とも呼べない設備のことだ。シャワーはなく、トイレの汚さも圧倒的だった。そして夜の合宿所で杉浦は恐怖を感じる。彼は書く。 ―――そして夜になると、大量の、大げさでなく数えきれない程のゴキブリがジムには出現する。合宿所、といってもベッドなどなく、剥き出しの床に酷い臭いの毛布を1枚敷いて眠るのだが、実際にゴキブリと一緒に寝るような感じだった。 1度夜中にハッと目を覚ましたら、周囲に5匹くらいのゴキブリがウロウロしてヒゲをピクつかせていて、ゾッとした事もあった。旅を繰り返していた当時の僕は、どんな環境にもすぐに適応できる方だと自負していた。しかし、こんな世界にはなかなか慣れられるものではない。 たった2週間ほどの滞在だったが、2度ほどゴキブリが身体の上を這い回っているのを感じて飛び起きた事もあった。その時はさすがにショックで、暫く眠れずにうなされ続けることになった。 しかし選手たちは逞しいというか慣れたもので、ピッと指で弾き飛ばしたり、脚で蹴飛ばしたりして、簡単にゴキブリを殺してしまう。中には手掴みで捕まえて外に放り投げていた奴(名はロベルト・モレノ、来日試合経験あり)もいて、度肝を抜かされたものだ。ゴキブリに対する感覚が僕たちとは違うのだろう。蚊みたいなものか? あるいはそれ以下かもしれない。僕が騒ぐと前述したように殺してくれるが、普段は気にもとめない。共存共栄をはかっている感じである。 小さな猫くらいの大きさの巨大なネズミを目撃したこともあり、瞬間、荷物をまとめて日本に帰りたくなった。犬や猫は可哀そうなくらい痩せているのに、なんでネズミはあんなにデカイのだろうか?(ゴキブリも日本のよりひとまわりデカい)。謎である。 NY、勝手に殴れ『スラム街のジム フィリピン・ボクシング体験記』
しかしそれでも杉浦がここに残れたのは朽ち果てたジムより、また恐ろしく巨大なゴキブリやネズミよりも、そこにいるボクサー達の魅力がそれらを補い余りあったからだった。 ジムにいる多くの選手達はそれぞれが田舎の島々から、出稼ぎのように出てきた若者達ばかりだった。日本人であるのに彼等と同じ生活ができてしまっていた杉浦をジムの選手達は次第に仲間として認めてゆく。 時にラブレターの代筆を頼まれたり、島のダンスを教わったり、もちろんボクシングでも得たものはあった。それらは素晴らしく、美しくもある出来事だった。 そしてそんな選手の中でもボクサー、ランディ-マングバットの純真さは彼の心を何度となく激しく打った。 ランディ、マングバットは杉浦が滞在した当時、WBCフライ級のインターチャンピオンで、世界戦挑戦者決定戦を控えていたトップクラスのボクサーだった。杉浦はランディの屈託が無く、王者の慢心など微塵も感じさせない、その誰に対しても思いやりを忘れない姿に驚き、感動した。 何故、こんなにも自分に気心を懸けてくれるのだろう。そう思えることが何度となくあった。それが些細なことでであればあるほど、杉浦は考えることなどできないほどの感情でいっぱいになった。 ランディの試合当日、杉浦はチームの一員としてランディと共に列の一番後ろから、リングに向かった。試合中は記憶が定かではないほど日本語で、叫び続けた。 試合は4Rに、偶然のバッティングにより対戦相手の額がカット。結果、負傷引き分けとなった。勝利はランディの手元にあった。攻め続けたランディに対し、相手の元世界王者、マルコム-ツニャカオは額から血と共にボクサーとしての誇りも流してしまった、抜け殻になったツニャカオできたのは諦めることだけだった。 試合後、ランディは杉浦の姿を見つけ、明日帰るのか?と聞いた後、彼に言う。 「If you come back PHILIPINES again, me, very happy. Because you are very nice friend. Everyday, remember you. Daisuke, Thank you very much.」 NY、勝手に殴れ『ランディ・マングバットのこと〜フィリピン・ボクシング体験記』
杉浦はこの旅でかつて経験をしたことがないほどの純真さをみた。しかしそれらは彼にとって何になり得たのだろうか、、、。 この時はただ、ただ心でしか、感情でしかモノを語ることができなかった、、、、
(文と写真:中屋 一生)
■ NY在住スポーツライター、杉浦大介氏のブログ Nowhere, now here. ■ 杉浦大介氏が「NY、勝手に殴れ!」を連載中 Talk is Cheap お読みになった感想をissei45456@hotmail.comまでお聞かせ下さい。 |