vol.24
to next age 〜スポーツライター 杉浦大介〜

 「記憶がはっきりとないんだ、、、」

 肌寒くなり始めたNYのカフェで、私が2001年9月11日のことを杉浦に聞いたとき、そう呟いた。フィリピンから日本に戻り、その後、NYに帰った杉浦を待っていたものが、9/11だった、、、。

 「学校に遅刻して行って、、、地下鉄が途中で止まって、、、外でたら通行止めで、前の女の人が突然叫んで、、、、ビルが、、、それで走って、、、あれはどこまで走ったんだろう、、、。」
 苦しそうに、、憤り、そして悲しそうに、、、彼はそれでも記憶を繋ぎ止めることができない。私はその姿を見て、レコーダーのスイッチを切った。

 30分ほどだっただろうか、杉浦と取り留めもない話をして、彼が落ち着き始めたところで、私達はまた話し始めた。
 「テロによって人間がみんなおかしくなってる訳だから、まぁ、それが怖かったね。テロで死ぬんじゃないかってことも怖かったし、、、」
 友人のアパートに着くまでの間、何も信じることができなかった。人の会話も、今起きていることも、恐怖がすべてを飲み込んだ、、、

 彼の向かったアパートの友人、小野一は語る。
 「別に激しく取り乱してはいなかったけど、とにかく周りの友達のことを心配してたね。」
 そして小野もあの日のことははっきりとは覚えていない。「テレビで見た時、あの映像自体、映画のようで実感がわかなかった」という。自分のアパートに着いたとき、はじめて心が落ち着いた。しかしルームメイトと話をし、誰かと電話をした、ということは覚えていたが、その後、三日間の記憶が途切れていた。

 「何をしてたんだろうなぁ、て思うね。」
 ジムは開いてない、学校は当然のごとく封鎖され、できることはバイトぐらいだった。
 「本当に覚えてないね。12月に行く旅行までは、ほとんどが断片的にしか、、、」
 彼は後にその頃のことを記す。

――― あの事件以来、僕の生活もかなり大きく変わった。ワールドトレードセンター内にあった、僕が当時通っていた学校は完全に倒壊した。多くの友人たちがそれぞれの国に帰って行った。そして彼らの殆どとは、以降1度も逢っていないし、もう2度と逢う事はない。
(中略) 今、再び掴んだように思える「普通の幸福」。だが、恐怖が真底に刷り込まれた後で、一点の曇りもない平穏を享受できる日はもう2度とやって来ない。そして、あの日に失ったものも決して戻ってはこない。
NY、勝手に殴れ『光の庭ハthe garden with holy light』

 あれから、杉浦にとって、変わってしまったのは生活や環境だけだったのだろうか。
 「なにかあれから変わったこと?そうだなぁ、自分の中で一番変わったことは、優先順位の問題、大事なことを後回しにしない、ということだね。」

 それは何かをそこから得たということ? この問いに杉浦の文は答える。

――― 2年の時が流れて、今のニューヨーカーに再び訪れた平穏な日々。だけど、僕たちは決して忘れるべきではない。あの日の暗闇と、永遠に失われた一瞬を。普通でいられることの大切さと、逢えなくなった人々を。
 2001.9.11は哀しくて、残酷で、それゆえに貴重な1日である。失ったすべての些細な物事は2度と元には戻らない。だけど流れる時の中から何かを学ぶ事は、たぶん出来る。
 例えば日常の生活で気持ちが錯乱して、半ば不安定な状態に陥りかけてしまったようなとき。そういうときなのだ。僕たちがあの日に経験した感情を正確に思い出してみなければならないのは。
 9月11日を迎えることには、今のニューヨークにとってそういった大切な意味があるのだ。
   
NY摩天楼通信『2003.9.11 〜米同時多発テロ事件から2年〜』

 あの日、多くの人間が多くの何かを失った。それは杉浦にも何らかの形で時に影を落とした。

 それでもあの日の出来事が与えた衝撃は喪失だけではなかったと、、、そう信じたい。



 テロ後、杉浦は12月の中旬から2ヶ月をかけ全米をバスで回った。「前からやりたいことだった。」と言い、それはタイミングであり、自然の流れだった、とも語る。この旅で何を得るのか、彼自身、それは分からなかった、目的のない旅だった。

 冬場のナイアガラの川と滝、そこから始まったこの旅を繋ぎ止めていたのは”出会いと別れ”だった。そして杉浦もそこに多くの思いを巡らす。
 どの出会いも別れも出来事も、彼だからなし得たし、またそうではなかったこともあった。何を、どこを出会いとして感じられたかで旅はその姿を大きく変えた。

 ナイアガラから南下しオハイオ州のクリーブランド、コロンバスを抜け杉浦はテネシー州、メンフィスに降り立ちエルビィス、プレスリーの邸宅を観に行こうと考える。しかし彼は行かなかった。入場料、25ドルが気分を下げたのは言うまでもなかったが、それ以上に杉浦が思ったことはといえばこんなことだった。

―――亡くなった 有名人の遺品を見るのに、そんな金を払ってもねぇ。生きている友人に逢うためだっ たら、何100ドルでも払う気になるのだけれど。
全米編vol.1『酒とバラの日々』

 その後、杉浦はダラスに停まり、ここで彼はケネディのミュージアムへと足を運んだ。観るべきものは数多くあった、しかし何が観たかったのだろう。エルビィスではなくケネディを、、、共にアメリカのあるひとつの象徴だったのは間違いなかった。

 「大学の時、やりたいことは全部やった、充実感はあった。」と言った彼にも、一つ心残りがあったと言う。なにか一つでも楽器を身につけなかったことに今でも後悔している、というのだ。
 友人のギターリスト渡辺俊介は言う。
 「俺達ほとんど同世代だけど、今まで自分の聞いていた昔の洋楽のロックなんて誰も知らなかったし、興味を持ってなかった。だけど彼とならそのことでいつまでも話ができて驚いたね。」
 杉浦の渡辺に対する話の中で、ある尊敬の念を感じた理由が少し感じられた。自分の触れられなかった世界に渡辺はいるのだ。杉浦にとって音楽はまた一つの触れられなかったものだった。

 そう、何故,杉浦はエルビィスではなくケネディを、、、。
 9/11、あの日が変わらぬ普通の一日だったならば、あるいは杉浦はエルビィスを選んだやも知れない、、、。過去の古き良き時代を思うのではなく、意味もたわいもないポップスターと音楽に思いを重ねられたのかもしれない。
 しかしこうも思えるのはあの日、何かが起きてしまったからこそ彼はそこにいたという事実もまた確かなことでもあるのだ、、、、

   杉浦は旅の最中、多くの日本人と出会う。メキシコとの国境の町、エルパソ。カジノの町、ラスベガス。西のサンフランシスコ、ユタ州ソルトレイク。アクシデントで一時戻ったNYでも、そして旅の終わりになるきっかけも同国人との出会いだった。
 杉浦は彼等,彼女等と多くのことを語りあった。その旅人達に共通していたものは何だっただろうか、、、

 それは旅に対し終えられない、終えたくない、という気持ちだったのかもしれない。彼等は進む、どこまでも進むのだが、そこには前も後ろも存在しない。ただ、どこでもない場所への移動なのだ。旅に生きることは今の時代、もはや難しく、望みがたい。そして恐らく誰もがいつかはそれぞれの場所へ帰らなければならないのだ。どこかでそれは必ずやってくるのだ。

 杉浦はアトランタでボブ・デュランの全米ツアーを追いかけている小林満と出会う。杉浦は小林と共にデュランを追った。そして、ウエスト・バージニアでのライブを観て”もう充分だ”と思えた。NYへ帰ろうと,そう思えたのだ。杉浦の二ヶ月の全米の旅はここで終わった、、、。

 杉浦はこの旅を「あるイノセントな時代の終焉。」だったと語る。それはきっと彼が”もう充分だ”と、もうこんな旅は二度とできないと思えてしまったからだ。最後の出会いがもはやその時代に留まることを許さなかった。杉浦に今の仕事に対して満足をしているかと訪ねた時、彼は言っていた。
 「充実はしている。でも、今を満足していたら、もうそれはそこでで終わりだから、、、」

 杉浦の”目的のない旅”は終わった。そして杉浦の新たな旅は理想の目的地、へ進みだす。もはや彼の夢は目標へと変わり、そう、果てしなく続く夢はもう、終わったのだ。  それでも杉浦は書く。

―――また新しい目的地に向かって、僕は移動する。そして、旅は続いていく。まだ、続いていくのだ。

 
全米編vol.6『いつまでも若く』

               (文と写真:中屋 一生)

■ NY在住スポーツライター、杉浦大介氏のブログ Nowhere, now here.
■ 杉浦大介氏が「NY、勝手に殴れ!」を連載中 Talk is Cheap




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