vol.25
to next age 〜スポーツライター 杉浦大介〜
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もしも杉浦という一つの季節があったなら、このNYにたどり着いてからの4年間、それは自分を養い、蓄える、冬の季節だったかもしれない。彼は種を蒔き、大地に根を生やし続けた。そして2003年、フィリピンでの出会いで、その種はつぼみへと静かに成長していた。 初めてフィリピンを訪れた時、上間伸浩という日本人ボクサー(元日本ランカー)に杉浦は出会っていた。上間の紹介で杉浦は二宮清純のWebページでの仕事のチャンスを得る。まず原稿を一本投稿してくれと言われ、その後、さらに五本とりあえず書いて、できによってはコラムニストとして採用しようといわれた。 「全てが詰め込んであったよね。その時の文章はヘタクソだけども熱かった。ものすごく熱かった。もう当時の自分の全て、そうゆうのってうざいよね。」 全てをつぎ込んだのだ。あの頃のように、、。 そしてこの年の六月、杉浦は再び日本へ戻る。二宮への挨拶と、あのランディ-マングバットとの再開のために、、、。二宮と会うため、二宮の事務所を訪れた。 「仕事の話はいっさいしなかったね。くだらない話と言うか、なんでもない話。それだけである程度話した後、『じゃあ連載にしましょう。』と、言ってくれたね。それで自分の方からクレデンシャル(credential、取材パス)を頼んだんだよね。ある意味、人生の小さな転換線ではあったと思う。」 その転換線にも、ひとつの終わりが待っていた。ランディ、マングバットを巡る旅の終焉だった。ランディは2003年6月4日、WBC世界フライ級王者ポンサクレック-シンワンチャーへの挑戦権を手に入れたのだ。 報道カメラマンだった村山幸親はランディ-マングバットという人間に魅せられ、始まったこの旅、”ランディを巡る旅は”途中、上間伸浩と杉浦大介という二人の日本人を乗せ情熱と共にタイのハジャイへとたどり着いた。 この試合、杉浦はリングサイドでセコンドに着いた。序盤から激しくフックを振るい、 スピードに乗って王者を攻め立てたが、次第に王者には当たらない、逆に連打をもらってしまう。ベストを尽くし戦っているランディ。しかしチャンピオンとの差はラウンドを追うごとに明白になっていく、、、。 杉浦達は前夜にある程度の覚悟を決めていた。杉浦は自らに問う。 ―――それなのになぜ、僕たちは遥かハジャイまで飛んだのだろう? 僕はいったい何が観たかったのだろうか? NY、勝手に殴れ『WBC世界フライ級タイトルマッチ〜フィリピン・ボクシング体験記vol.4』
試合は展開が変わること無く、最終ラウンドのゴングが鳴った。スコアも大差の判定負けだった。試合後のランディは安堵の表情を浮かべていたという。 「(試合が)大きくなればなるほどそうなのかもしれないけど、負けてすぐってやっぱその負けがすぐには分からないんだろうね。」 杉浦は語る。 「あの旅で見たものは、僕の心を捉えてはなさなかった。「純粋さ」みたいなものを保ち続けることの素晴らしさ。最後まで見届ける義務があると思った。そして、良い意味でいったんピリオドを打つ必要があると思った。」 そしてあの時、杉浦が初めてフィリピンに訪れた時、ランディにとって杉浦が何者かになり得た瞬間だったのかもしれない。世界戦に挑むほどのボクサーは、杉浦を彼にとっての大切な仲間だと感じたのだ。 ランディとの旅はひとまずの終わりを迎えた。そして杉浦は再び歩みだす、、、。 彼は言う。 ―――願わくば、あの時に取り戻した純粋さを保ちながら、と。 帰国後、仕事は確実に増えていった。杉浦の季節は春を迎え始めた、、、。幾つかの時代を終え、彼は少しずつライターとして、前へと進み始めた、、、。杉浦は行動し続けたのだ。どのスポーツでも、どの旅でも、どの文章でも、、。 彼は行動することで、または一つ、一つの時代を超えることで成長していった。ここまでの彼は行動の時代に生きてきた、それでは今、彼はいったいどんな時代に生きているのだろう、、、。あるいはそれは反応をを求められている時代なのかもしれない。結果と呼んでもよい、試されているのだ。 次の時代はいつやってくるのだろう、、、、。 それは杉浦のこの先の文章のみにしか、語ることはできない。 |
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眞田薫は語る。 「彼は非常に話を聞くのがうまい。なんていうのかなすごく付き合いやすいタイプ。多分、大ちゃんはいろんな人に対して合わせることができるじゃないかなぁ、対応能力があると思ったよ。」 また鈴木千恵も同調する。 「そう、それに相当努力をしてると思う。(杉浦のキャリアで)イヤーブックを書けるというのはすごい。」 「普段は全然みえないのね。でもそのみえないところで、影でがんばってる。彼もTry hard(懸命さ)と楽しむ心があるから良いライターなんじゃないかな。」 「うん、楽しんで仕事をするのは何でも必要。それがあれば仕事はできる。」 「愛情があればいいんだよね。」 渡辺俊介は言う。 「僕たちも30代を迎えたということもあり、彼からは覚悟を感じてる。特にそんな話はしたことないけど、(文の中で?)そうだね。それにひたむきさが出てると思うね。」 小野一は昔を思い出す。 「最初にあったのが5年前だから、、あの頃の印象はボーっとしていたと思うなぁ。でも何やら文を書いてるって言うんで、読んでみたらなかなか文体は繊細なイメージがあったね。」 「今年ヤンキースがプレーオフですぐ負けて仕事が減ったと聞いて、『で、大丈夫なの?』って、『またバイトでもすんの?』って聞いたとき、杉君が言った言葉が『もう、苦しくはない、自分はこれで成功させていく。』って言ったとき、あぁ、もう平気なのだなぁ、と思ったね。」 そういえば、杉浦に以前よく再読した本はあるかと聞いた時、彼は答えた。 「オズの魔法使いが大好きで、ようは何かを求めて旅に出て、その過程でそれが身に付いちゃったというね、その話がね。あれは未だに好き、大好きだなぁ。結局、プロセスなんだなぁ、と、俺は別に文章書かなかったら、、、文章しかないってつもり全くないし。 要はね、なんというか、自分の理想というか、求めるものに近づく手段なんだよね。文章で一生懸命やる過程で、多分そういうものが身に付いていくんじゃないかなと、思う。」 ―――夢は? 「夢はないね、正直言っておそらく夢は現実も目標だね。ある意味、夢を見る段階はもう終わった。なんと言うか夢って、大きな目標でしょ,ある意味。途方もない夢はもう見ない。基本的に現実を観るね。大きな目標があって、で今、ある意味大きな目標に向かっている過程にいるんだと思う。夢を叶えたとか決めることはないんだけどその途上にはいると思う。だから今、現実的な目標というのは少しでもその目標に近づいていくということだね。」 取材と題し、初めて私達が行動を共にした日、彼の仕事ぶりを観るためコネチカットまでボクシングを観に行った。帰りが遅く、深夜バスでNYへ戻ると、周りはすでに明け方近い、暗がりの中だった。 私は降りる場所を間違えてしまった。しかし何故かバスに戻ろうとはしなかった。そして杉浦の乗るバスが去っていくのをただぼんやりと眺めていた。 バスの向かう先にはうっすらとビルを包み込むように、青白く周りが光ってみえた。 だが、陽はまだ昇っていなかった、、、、、。
(文と写真:中屋 一生)
■ NY在住スポーツライター、杉浦大介氏のブログ Nowhere, now here. ■ 杉浦大介氏が「NY、勝手に殴れ!」を連載中 Talk is Cheap お読みになった感想をissei45456@hotmail.comまでお聞かせ下さい。 |