vol.29
ジムの風景 ---3日目の朝---

 「カミ〜ン。」
 コネチカット州、フォックウッツにあるツー-スリーホテルの231号室をノックすると甲高い妙な女のような声がした。
 扉を開けると太った肌の黒い男がショートパンツ姿で立っていた、、、マイクだった。
 部屋にはベッドが二つあり、ウェスとアポロがそれぞれ横になってテレビを見ていた。マイクは机に向かってパソコンをいじっていたようだ。
「迷わなかったか?飯はどうした?」
「うん、腹は減ってる。昼前から何も食べてないよ。どこか食べれる所ある?」
 私は朝、チャイナタウンで買ったパンを食べてから何も食べていなかった。
「これやるからなにか食ってこい。」
 マイクはそう言い、リュックサックの中から何かのチケットを取り出し私に手渡した。
「カジノのビュッフェ(食い放題)のチケットだ。俺達はもう食ったから行ってこいよ。」
 携帯の時間を見ると8時を回っていた。
 遅くはならないからと私は彼等に言い残し部屋を出た。
 そして歩いて十分程の所にあるカジノへ再び向かった。NYからのバスはカジノの前で止まり、私はそこからホテル専用のシャトルバスに乗りここまで来たのだ。
 外は上着が必要でない程暖かく、吹く風が心地よかった、季節が変わり始めているようだ。
 しかし私はその穏やかな季節の流れを、複雑な思いで歩き続けていた。



 3月9日、朝の9時頃、私はジムで汗を流していた。
 この日、本来なら私はマイク達と共にコネチカット州、フォックスウッツで行われるウェスの試合の前日計量から同伴する予定だった。が、しかし試合3日前、相手側からマイクへ試合キャンセルの電話が入り、コネチカット行きはなくなったと聞いていた。もはや慣れてしまったのか、マイクは投げ捨てるように軽く話した。
 私は初めての泊まりがけでの同伴ということもあり、その間に何が見れるだろうかと期待を抱いていたので正直、そのことは残念だった。
 ジムのトレーナーでマイクと親しい黒人のハリーが声をかけて来た。
「マイクは今日、コネチカットに行くんだろ?」
「いや、ウェスの試合はキャンセルになったんだ。」
「ん?おかしいな、確かやるはずだぞ。」
「いや、昨日の朝マイクが電話で教えてくれたよ。一緒に行く予定だったんだけどね。」
 そうハリーに言うと、彼は自分の携帯を取り出し電話をかけ始めた。どうやらマイクにかけているようだ。
 2,3秒後に電話が繋がった。
「ヘイ、マイク!今どこだ?、、、、」
 ハリーは私との会話を彼に説明しているようだった。そしてしばらく話した後、ハリーは電話を切った。 「いや、試合はあるぞ。マイク、お前に留守電残したって言ってたぞ。」
「本当に?」
 嫌な予感がした。私の携帯は最近故障がちで、よく着信履歴が残らないことがある。朝、携帯を見たときは誰からも電話はなかったはずだった。
 この日、私は珍しく携帯を持って来ていたので(私は普段あまり携帯を持ち歩かない。ジムと家が近いためもあるが、持つとしたら地下鉄に乗るときぐらいだ。)留守電を確かめてみた。
 一つ、留守電が入っていた、マイクからだった。
「イッセイ、多分試合はあるぞ。もしこのメッセージに気付いたら電話をくれ。」
 試合キャンセルを聞いた6時間後の電話だった。私は急いでマイクに電話をかけたが繋がらなかった。
 私は今から行く、と留守電を残し、軽くシャワーを浴び、着替えてハリーにどこからフォックスウッツに行けるのかを聞いた。
「お、行くのか。ポートオーソリティーからバスが出てるし、チャイナタウンからでも行けるんじゃないか。」
「そう、ありがとう。」
 私は彼に礼を言い、自宅に戻って彼等のもとへ行く支度をし、そして駅へと向かった。

 駅で地下鉄を待っている間、私は思い込んだ。
 それは今、私が向こうへ行って喜ばれるのかという不安と、何故もう一度、ハリーとの電話中でもよかった、何故もう一度、自分に電話をくれなかったのか、という怒りのようなものだった。



 チャイナタウンではフォックスウッツ行きのバスは見つからなかった。仕方なく地下鉄でポートオーソリティーまで行き、グレイハウンドバスを使うことにした。
 途中、パンをいくつか買った、バスの中で食べるためだった。
 様々な物の物価が上がる中、何故かチャイナタウンだけは安さを維持し、それは物に限らず、バスも例外ではないのだ。私は交通費を浮かそうとしたために、この後、長いことバスを待たねばならぬことになってしまった。
 ポートオーソリティーに着くとバスはちょうど出てしまった所だった。
 体格のいい白人の若い男、スパニッシュの小さな男、黒人のやせたおばさんとスポーツバッグを持った学生風の白人の男が短い列を作って待っている。
 今の時間は12時、次のバスは2時、あと20分早く来ていればその前のバスに乗れたのだ。
(仕方ないな、、、)
 私はイラつく気持ちを落ち着かせるため、そしてここにくるまでの道のりに疲れを感じたためその列の後ろへ並びそのまま床へと座った、そして買ってあったパンの袋を開けて食べようとした。
 、、、、、オーダーしたものと違うパンが入っていた。
「Shit(くそ!)!!」
 小さな声で叫んだ。
「What(何)?」
 私の後ろに並んだ太った黒人の若い女が自分に言ったのだと思い、怒りの含まれた視線で私を睨みつけた。
(、、、勝てそうにないな、)
 私の倍以上ある腕の太さを見てそう思った。しかし素直に謝ると、彼女も素直に受け入れた。人を見た目で判断しては行けない、、
 バスは時間通り2時頃出発した。しかし30分程走った後、バスが高速前で止まり動かなくなった。エンジンがオーバーヒートしたようだった。
 もはや私にできることは目をつぶり眠りにつくのみのように思えた。

 1時間程経った頃、私の携帯が鳴った、マイクからだった。
「来るのか。計量は4時からだ。」
「いろいろあってそっちに着くのは6時頃になりそうなんだ。」
「分かった、着いたら電話をくれ。」
 話した感じでは迷惑という感じはなかった、マイクは私が後から来ることに対しどう感じていただろうか、、、
 バスはその一時間後に動き出し、コネチカットに向かった。


4

 カジノの中を抜けると”フィスティバル-ビュフェ”と書かれた看板が見えた。夕食時だったこともあり、平日の木曜でも人はそれなりに入っていた。
 私はオレンジジュースをウェイトレスに頼み、フライドライス、ポークチョップ、酢豚とサラダをとって来た。それをすぐに平らげ、デザートにチーズケーキとビスケットを食べた。腹は満たされ、イラつきもいつの間にか消えていた。
 宿に戻ると皆テレビを見てリラックスをしていた。そして入り口の前には予備のベッドが一つ出ていた。
「今夜はそこで寝ろ。」
 マイクは私にそう言った。彼に自分はどうするのかと聞くと、
「俺はここで寝る。」と言い、彼が指した指の先には絨毯の敷かれた平らな床だった。
 11時半を過ぎる頃、私はマイクの指した床の方へと行き、マイクは明日試合があるから自分がここで寝ると言うと、彼はオーケーと言い肩をすくめ、座っていた椅子を移動させた。
 その日の夜、窓際だったその床は私が思っていたよりもずっと寒く、バスタオル一枚羽織るのでは足りなかった。その寒さ、またバスでの時間ほとんど寝ていたためか、私は寝付けないでにいた。



 「さあ5時だ、服を着て準備をするんだ。」  マイクはホテルでウェスにそう言った。ウェスは着替えだし、私やアポロも支度を始めた。
 3月10日、私達は朝食をとりに外へ出た意外はホテルの中で試合の時間が来るのをリラックスして待っていた。
 この日も私はビデオと試合後の写真(マイクは試合前、写真撮影を嫌う。)を撮ることになっていた。もう一泊するので試合に必要なもの意外は置いていった。
 6時に私達はホテルを出た、この日も外は暖かく、NYよりも北にあるコネチカットのこの気候が不思議に思えた。
 15分程して会場のシアターに着くとマイクは私に言った、
「パスが買えるかまだ分からない、昨日は買えたんだが、、、チケットを買うことになるかもな。」
「えっと、どうすればいい?分かるまでここで待っていればいいのかな?」
 私がそう答えると、マイクはそれを最後まで聞かずただ「ああ、、」と答えた、私は彼に言った、
「待ってるから無理でも何でもいいからまず必ず連絡して!」
 マイクはそれを背中で聞き、シアターの中へウェスとアポロと共に入っていってしまった。
 電話は来ないだろうな、私はそう思った。



 電話はやはり鳴らなかった、時間が7時半を過ぎる頃私は彼にチケットを買ってとりあえず中に入る、と留守電を入れ二階席へと向かった。
 試合開始前で客はまだ2割程しかいなかった。
 私は頼まれたビデオカメラを鞄から取り出し、距離を確かめた。すると隣から誰かが話しかけて来る、
「すみませんが、ビデオ撮影は禁止となっています。写真なら構いません。」
 黒人の眼鏡をかけた小さなおばさんだった、どうやらこの興行のスタッフらしい。

「いや、撮りたいのはアンダーカードなんだ、別にメインは撮らないよ。」
「全ての試合で禁止しています。」
 こちらの話を少しも聞かない態度が気に入らなかったが、テレビの入った試合はこんなものだろう。彼女は「あなたを監視しているわよ。」と言い残し、私から離れ、自分の持ち場へ戻っていった。
(まぁいい、デジタルカメラの動画で隠し撮りするさ。)
 私はブツブツと独り言のように呟いた。
 距離は一番安い席だったので素晴らしいとは言えないが悪くはなかった。私の周りの観客のほとんどはカジノに来て偶然この試合があるのを知った、というような感じであった。
 配られた試合のパンフレット(ただの1枚の紙)を見るとウェスの試合は第3試合目になっていた。
 私は持って来ていた水を口に含み、観客達を眺め、開始を待った。
 8時に試合は予定通り開始された。観客も7、8割は埋まっていたのでメインの試合を観に来た観客も多いのだろう。
 そして試合が始まる頃、私の後方にある柱の前にいつの間に一人の白人の中年の男のスタッフが立っていた。わたしがデジタルカメラを撮る仕草をすると、
「撮影は禁止されています。」と話しかけて来た。
「写真を撮っているだけだよ。」
 そう言い、私は欲しくもない写真を数枚撮り、その後もそこを動かない彼を見て、私は試合を撮ることを諦めていた。
 試合をぼんやりと見つめていた、、、NYからコネチカットまで仕事を休んで来て、手に入る予定だったパスも結局は手に入らなく、着いた場所がこの席だと思うと、空しい気持ちになっていった。そして撮影まで禁止されたのだ。私は一体何をしにここまで来たのだろう、、
(私は何をしに来たんだ!)
 自分に罵った。



 そんな沈んだ気持ちの中、リングでは第2試合目の選手達が入場していた。パンフレット(ただの一枚の紙)を見るとヘビー級の試合のようだ。
「!?」
 おかしな男が入場してくる、黒いトランクスに王冠をかぶった男が、裸の王様がやって来た。
 会場はどよめいた。リング中央で審判の話を聞いているときもまだかぶっている。

 私の席の後ろの方から大声がした。
「あ〜!バーガーキングだ(アメリカではマクドナルドに次ぐファーストフードのチェーン店の名)!」
 会場は揺れ、私も飲んでいた水を噴き出した。バーガーキングは既に会場の全ての視線を自分のものにしていた。

   試合が開始されると、見ているこちらが心配になる位の勢いでバーガーキングはラッシュを始めた。彼のスタミナは大丈夫だろうか?
 第一ラウンドが残り一分になる頃、案の定キングは既にばてていた。
 キングがパンチを放つたびに笑いが起こる、私の後方に座る女性が叫ぶ、
「あなたならできるわ!」
 その瞬間、王様は痛烈なアッパーを浴びた。
 試合は非常に盛り上がった。選手達は互いによく手を出し、観客達も声をよく出した。最終ラウンドの4回のゴングが鳴ると、会場からは大きな拍手が起った。
 勝者は周りの声援を受けたおかげか、僅差で王様が勝った、再びかぶった王冠は微妙にズレていた。
 アンデルセンの書いた童話『裸の王様』で、王様は馬鹿には見えない布地で縫った衣装を身に着けパレードを行った、自分にも見えていないのを分かりつつ。そして見物人は自分が馬鹿と思われたくないためその姿の王様を褒めたという、、、
 今夜はどうだったろうか、私達には彼が裸に見えていた。しかしあるいは彼には見えると信じていたのかもしれない”馬鹿には見えない衣装”というものが。
 どちらが正しいのか今は分からない、私は彼の名前を覚えていない。



 時計が10時を回る頃、私はマイク達と別れたときと同じ、シアターの入り口前で彼等が出てくるのを待っていた。
 観客達がシアターからまた別の場所へと移動していく。そのシアターのすぐ前にはスロットマシーンが並んでいて、私はその一つに腰をかけ、流れる人の動きを眺めた。
 この日、ウェスは勝った。あまりにも慎重になりすぎて、観客からブーイングを浴びる場面もあったが終止、自分のペースを崩さず、最後までアウトボックスをし、無難にこなしたと言える。
 私は彼の試合が何事もなく進むのを見ていた、いや、あれは今のようにただ眺めていただけなのかもしれない、私はウェスが戦っている間ずっと自分に対し何をしに来たのかと、唱え続けていた。
 彼等の戦う姿は私の存在を無意味にさせた。

 一時間程待ち、シアターから出て行く人の数もまばらになっていったが、彼等を発見することができなかった。
 私は携帯を使うのをためらっていた、できれば自分からは連絡を取りたくなかった。
 (鳴らなかったか、、、)
 心でそう呟き、私はマイクの番号を確かめ、彼を呼んだ、
「ヨウ、今どこだ?」
 マイクはすぐに電話に出た。
「シアターの前で待ってたんだよ。」
「俺のことを待つ必要はないんだよ。試合後はいつも時間がないんだ、待つんじゃない。俺達はもうビュフェにいるぞ。」
「、、、」
 私はなんとか落胆を隠すように努めながら言葉を探した、
「、、今からそっちに行くよ、、」
 そう言って電話を切った、多分隠しきれてはいなかったと思う、
 私は「一言だけでよかったんだ、、」と漏らし、椅子から立ち上がったその貧しい足で、彼等のいるビュフェへと向かった。



 私はビュフェに着いてしばらく、呆然としていた。既に入店時間が過ぎ、中に入ることができなかったのだ。
 そのままの状態で私はそばにあったベンチに力なく座り込んだ、もはや電話でマイクに伝える気にもなれなかった。
 壁ではなく、柵で仕切られているビュフェは中が外側からでも一望できた。私はベンチからマイク達が見えないことを確かめ、そのことに安心していた。この姿では彼らには会えないと思った、そんな表情をしていたと思う。
 ぼんやりとビュフェを眺めていると、食事をしている人々の中で、僅かな人の波があった。ジャージ姿で王冠をかぶり、裸の王様が(歩いていた)パレードを行っていた。
(今は、笑えないよ、、)
 彼に呟き、目を地面に向けた。

「何やってんだイッセイ。」
 アポロがビュフェから出て来て私に声をかけた。その後ろから、ウェスとマイクの姿も見えた。どうやら食事は終わったようだ。マイクが私に尋ねた、
「どうして中に来なかったんだ?」
「もう閉まっちゃってたんだよ。」
 私はかろうじて笑うことができた。
「ウェス、傷、全然ないな。」
 彼にそう言うと、ウェスは頷き、微笑み返してきた。
 ホテルに戻ると、私達は各々の格好でベッドに潜り込んだ。皆それぞれに疲れていた。マイクは椅子に座りパソコンの電源を入れた。
 その夜、私はベッドに沈み込み、そして起き上がることができなかった。

 コネチカットに来てからの三日目の朝、私は早い時間に一人、目を覚ました。自分がベッドで寝ているのに気付きハッとした後、マイクの姿を探した。
 彼は床で眠っていた、、、
 私は再びベッドに飛び込むようにうずくまり、頭まで毛布を被った。そしてその中で、心の中で叫んだ、 (くそ!くそ!)
 あの時マイクは眠っていたのだろうか、眠れただろうか、あの寒く、空しかったあの床で、

 私達は昼1時、NYに向かうバスに乗った。マイクとウェスは目を閉じていた。アポロはジッと外の風景を窓から眺めていた。
 私も最初は持ってきていた本を読んでいたが、字を読むのが億劫になりだし、コネチカットの田舎風景をぼんやりと眺めていた(眺めてばかりだ)。

 一緒に行きたいと言ったのは私からだった。彼等の試合前日に始まってその終わりまでの全てを見てみたいと思ったのだ。しかし、私は自らが聞逃した電話の音に気付かず、その後、彼等に対し求めてばかりいた。自ら動かず、あくまでも待ち続けた。

 彼等はあの時、既に戦いの中にいた、ホテルを出た時、試合に必要な以外の物を置いていったとするならば、それは物よりむしろ心ではなかったか。余計な物一切を置いてきていたのだ。
 私はそんな彼等から、一体何が聞きたかったというのか?私は一体何を言ってほしかったというのだ、、、あれは彼等の戦いだった。
 夕方、NYに着くと私達はそれぞれ違う道を帰っていった。私は彼等が歩く後ろ姿を見て、今やっと試合が終わったのだなと感じ、そして自分が酷く滑稽に思えた、私はあそこにいたのだろうかと、、
 まだ私は彼等の信頼を得てはいない。それは分かっていることだった、私には彼等とのコミュニケーションをとる唯一の方法である言葉が十全ではないのだ。言葉足らずな時、彼等の会話を追いきれない時、私は自分が消えてゆくのを感じた。
 言葉だけではない、私は未だ何一つ彼等に証明できていないのだ。私には "彼等にとって" 何ができるのかということを。
 そこにいようが、いまいが彼等にとって私という存在は、まだそれほどの意味は持たないのかもしれない。
(自分には何もでいないのだろうか、、、いや、何かはあるはずだ。)
 と、虚勢を張ってはみるものの、
 帰りの地下鉄の中、私は疲れと空しさで顔を両手で覆った、、、

―――終わり


               (文と写真:中屋 一生)




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